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大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)1718号 判決 1983年2月09日

控訴人

広田倫也

控訴人兼右控訴人広田倫也法定代理人親権者父

広田義明

控訴人兼右控訴人広田倫也法定代理人親権者母

広田叔子

右控訴人三名訴訟代理人

石川寛俊

宇佐美貴史

竹岡富美男

中村真喜子

藤田正隆

被控訴人

名方正夫

右訴訟代理人

佐伯千仭

藤原忠

米田泰邦

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  当事者双方の求めた裁判

(一)  控訴人ら

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は、控訴人広田倫也に対し金三四〇〇万円、控訴人広田義明、同広田叔子に対し各金五〇〇万円、並びに、これらに対する昭和五四年五月八日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行の宣言。

(二)  被控訴人

主文と同旨。

二  当事者双方の主張及び証拠関係

次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する(但し、原判決六枚目裏五行目「血涎型不適合」を「血液型不適合」と改める)。

(主張)

(一)  控訴人ら

1 控訴人広田倫也(以下、控訴人倫也という)は、溶血性核黄疸の後遺症による脳性麻痺であるが、被控訴人は、この後遺症を未然に防止するため万全を尽したということはできない。すなわち、

血液型不適合による重症核黄疸の発生は、当時、医学界のみならず広く世間一般に知られ、控訴人倫也については、重症黄疸発生の蓋然性が予測されたのであるから、被控訴人医師としては、これへの対勢を十分整えるべきであり、ことに、それが特発性のそれとは異なり、黄疸出現及びプラハ一期症状発現時期が早く、出生直後から三日目くらいまでの一般状態の綿密な観察、管理がとりわけ重要であるのに、被控訴人はこの時期に右観察、管理を怠つたもので、右一期症状の予測や核黄疸の発症を疑うことが不可能ではなかつたから、以下述べるとおり、被控訴人には診療上の義務違背があるというべきであり、被控訴人において、十分な診療を行つたことについて立証しない限り、その過失が否定されない(最判昭和五一年九月三〇日、民集三〇巻八号八一六頁参照)。

2 控訴人倫也が溶血性核黄疸に罹患していたことは、次のような事情から明らかである。

(1) 核黄疸の特性等

イ 核黄疸を起した成熟児高ビリルビン血症のうち67.6パーセントがABO型不適合児であり、特発性のものは僅か14.7パーセントに過ぎない。

ロ 黄疸は、溶血性の場合生後二四ないし三六時間内に出現するのに、特発性の場合はそれより遅く、生後四日から七日に最高となる。また、臨床症状は、溶血性の場合は生後三ないし四日頃、特発性の場合は、六日前後が多い。

ハ 新生児溶血性疾患例の90.4パーセントは母O型のところ、控訴人倫也は、ABO不適合児であり、かつ核黄疸発生頻度の高い母O型であり、交換輸血をした神戸大学病院医師は、控訴人倫也につきABO型不適合が原因であると疑つている。

ニ 特発性とは非溶血性すなわち血液型不適合がないという消極的概念にすぎず、控訴人倫也には、他に核黄疸の原因となる何らの疾患も確認されていない。

(2) 控訴人倫也の診療経過

イ 控訴人倫也は、カルテ(甲第四号証)によれば、生後二日目から黄疸上昇し、出生直後より哺乳力悪く、黄褐色の嘔吐あり、四日目より発熱し、五日目黄疸(+++)と記載され、明らかに早発黄疸があつたことを示しているが、右は、第三者医療機関である奥谷医師により昭和四四年五月一五日当時記載されたものであり、かつ、右カルテにおける控訴人倫也の出生時の身長等は付添人の答えられることではないから、右は西脇市民病院勝呂医師の確実な情報(なお、被控訴人による説明の可能性も否定できない)と専門的知見に基づき作成されたことに疑いない。

ロ 母子手帳(甲第五号証)にも、控訴人倫也につき、同年五月一一日、一二日黄疸の記載があり、生後三日目の同月一三日には黄疸強と記載されているところで、右手帳は診療録に依拠して転記されているのであるから、本訴提起後半年を経て提出されたカルテ(乙第一号証)とは著しい対比であり、控訴人倫也につき早発黄疸の事実は明白である。

ハ 被控訴人は、通常は一日一回の検診であるのに、生後四日目の同月一四日には、午後八時と一二時の二回、異例の検診を行い、当時核黄疸治療に有効と考えられるアクス剤を一〇単位注射しているが、このことは、当時の控訴人倫也の黄疸に関する症状が、新生児の生理的黄疸の域を超え、少くとも何らかの対処療法を行うべき状況であつたことを示している。

3 被控訴人の義務違背について

被控訴人の控訴人倫也の黄疸に対する診療行為は、そもそも不十分、杜撰であつて、右倫也に脳性麻痺を後遺とさせたものであり、まず、まともな診療を実施すべきところ、これを怠つているというべきであるが、以下の点の注意義務の懈怠も重大である。

(1) プラハ一期症状との関係判断の誤り

医師としては、患児の全身状態の把握を含め、プラハ一期症状とされる症状を注意深く観察し、発症の時期、程度、及び経過、消長、他の症状との重なり等を総合的に、まさに専門医としての知識、経験を駆使し、たえず重症黄疸でないかという疑いを念頭に置きながら観察すべきところ、控訴人倫也の症状経過として、出産時正常分娩、出生時アプガー指数一〇、生下時体重三〇〇〇グラムであつたが、生後三日目である五月一三日の体重が二六五〇グラムまで一一パーセント以上減少しているから、正常児の生理的体重減少率四ないし五パーセントに比して、異常に減少していることに着目し、これに、右倫也が血液型不適合児、しかも、母親がO型である事実を前提とすると、被控訴人において、優にプラハ一期症状であると判断しえたのに、これをすることがなかつたというべく、右倫也については、右一期症状中、哺乳力の減退、吸啜反応、眠つた状態、筋緊張の低下も認められているから、仮に、右一期症状のいずれかが欠けていたとしても、右諸症状の総合的判断により、五月一三日の時点で、被控訴人は、右倫也の核黄疸に対する処置として、交換輸血をなすべきものであつた。

(2) 黄疸の強度の測定、血清ビリルビン値測定義務の懈怠

核黄疸症例に限つていえば、イクテロメーター使用は無意味であり、また、核黄疸の発現を認めた場合には、右黄疸計に頼ることは危険で血清ビリルビン値(単に、ビ値ということがある)を直接測定するのが安全とされているのに、被控訴人はこれを怠つている。

しかも、イクテロメーター値(イ値)の測定は、一定の条件下で同一の熟練した測定者によつてなされ、更に、継続してその測定値が記録され、日令との関係で判断される必要があるのに、被控訴人医院においては、これが看護婦により行われたため、看護婦の交替があつて、これらの相関的判断もされていないし、控訴人倫也の出生後早期にはイ値の測定も、そのカルテへの記載もなく、またイクテログラムの作成もないなど、イ値の測定に関する管理が不備であり、このため、被控訴人は倫也の核黄疸を看過した。

(3) 転送義務の懈怠

医師は、自らの診療行為の過程で、専門外の領域に属するか、または、当該医師の具体的医療技術を超える疾患が患者に発生する危険を認識もしくは予見し得る場合には、原則として、これを患者又はその家族に説明したうえで、他の専門医や設備の整つた病院に患者を速やか転送すべき義務がある(医師法第二三条、保険医療機関療養担当規則第一六条)ところ、控訴人倫也は、プラハ一期症状を呈していたし、仮に右症状が早発黄疸でなかつたとしても、事情により転医するのが実務上の判断であるから、早期に転医措置をとるべきところ、同月一五日に至つて、右倫也を西脇市民病院に転送したものであり、しかも、被控訴人は、右病院では、ビ値の測定はできたが、交換輸血の設備、技術のないことを知りながら、右倫也を被控訴人医院の看護婦に託して送り、交換輸血の説明ないし適切な指示をしなかつたため西脇市民病院から被控訴人医院へ戻つた後、神大附属病院(以下神大病院という)へ入院し、交換輸血の開始が同日午後三時二四分と大幅に遅れたものであり、以上によると、当初から右神大病院へ転送しておれば、交換輸血は数時間早く開始され、右倫也の脳性麻痺の症状を免れるか、少くとも軽度の後遺症にとどまつた蓋然性は大きい。

4 被控訴人の主張4の事実は争う。

(被控訴人)

1  被控訴人の控訴人倫也に対する措置は、当時の医療水準や地域医療からみて適切であり、何ら義務違背と目されるべきものはない。

2  控訴人倫也の麻痺の原因は核黄疸とみることはできない。

(1) 本件においては、一般の重症黄疸の管理基準を全くはなれた異例な経過があり、核黄疸の典型的後遺症の型とは全く異なる右麻痺の主因を核黄疸とみるには障害がある。本件は、早発黄だんでないだけでなく、生後三日目である五月一三日のイクテロメーター値は2、同一四日夜八時に3を示しているもので、右は生理的黄疸の範囲にとどまるものである。

(2) カルテ(甲第四号証)の分娩から収容までの経過欄の記載は、それまでの経過につき関係者から直接事情を聴取し真相を反映するというものではない。右紹介者は、当日朝、簡単な診察をして神大病院に転送しただけで、これまでの経過は知らないし、母子手帳(甲第五号証)についても、カルテ(乙第一号証)の三日目の黄だんの状態、控訴人側の観察とも合致することが重要である。また、被控訴人がアクス剤を投与したのは、イクテロメーターによる黄疸のレベルは、まだ、転医を求めるものでなかつたが、嘔吐、発熱の事態につき念のため用いたものであつて、むしろ、被控訴人の慎重な態度を示すものである。

3  被控訴人に義務違背のないことは以下述べるとおりである。

(1) プラハの一期症状は、黄疸の発現、増強の後に、あるいは、それとともに現れてくる症状が問題である。控訴人倫也の生後三日目の体重減少は、何らかの問題のあつたことを示唆するが、そのような事態は通常の新生児でもみられる。しかし、その症状が、黄疸の発現、増強のない時点でみられたこと、モロー反射の異常は一貫して存在しなかつたことこそ決定的に重要である。また、黄疸の上昇とともに現れるプラハ一期症状は、十分な観察にもかかわらず認められなかつた。

(2) 当時の個人産科開業医レベルでビリルビン値を測定することは不可能であり、当時の最新の指針であるイクテロメーターによるしか方法がなかつたものである。なお、ビ値が急上昇するときには、イクテロメーター値との間でズレが生ずることが問題であり、これは早発性黄だんのある溶血性黄疸であるが、これは、当時の文献にも指摘のない極めて例外的な事例であり、このような事例まで念頭に診療することを要求されるものではない。

(3) 西脇市民病院への転送については、同病院でたまたまビ値の測定ができなかつただけであり、そこには神大小児科から派遣された小児科医がいて、診療開始時間前に診療し右大学に紹介している。被控訴人は、これまでの重症黄疸例は、このルートでビ値を測定したうえで動いていたものであり、イ値が4.5でもビ値が一五にとどまることもある。この意味で、手近な病院で一刻も早く専門医のスクリーニングを受けるのは当然である。しかも、当時の状況上、西脇市民病院からの事前の連絡にもかかわらず、交換輸血が現になされたような時間になつたことからみても、その結果に変りはなかつた。

4  被控訴人に責任を帰することは相当でない。

本件では、早発黄疸はないのであるから、血液型不適合による溶血性疾患は否定される。しかも、みるべき黄疸の発現前に哺乳力の問題が現れたことは、プラハの一期症状の徴候といえるようなものでなく、むしろ核黄疸の前駆症状とは全く異る問題のあつたことを示す。つまり、五月一日早朝から神大病院転院時にみられた急激なビ値の上昇も、一般の特発性高ビリルビン症ではみられないものである。そして、麻痺のタイプも、それなしでは軽々に核黄疸とはいえないとされるアテトーゼでは全くなく、しかも極めて重症である。軽度であるといわれるABO不適合の溶血性黄疸による核黄疸はもちろん、他の一般の核黄疸とも全く異るものである。これらは、産科開業医として、核黄疸について十分の知識をもつて対応していた被控訴人にも全く予見できない転帰である。しかも、本例が、黄疸の発現、増強とともにプラハの一期症状が現われ、これが一両日続き、その後二期症状に移行するというような、一般的な核黄疸症例とは明らかに異る症例であつて、これによれば、本例は交換輸血だけで脳障害を回避できるものではない。むしろ、本例には、後頭蓋窪出血など遅発的に影響を現わす何らかの障害があり、これが黄疸発現以前に哺乳力などに影響を与えはじめ、五月一四日の夜から一五日午前にかけて脳障害とともに急激なビリルビンの増強をもたらし、現にみるような核黄疸とは異る重篤な脳障害を残したものである。

(証拠関係)<省略>

理由

一  控訴人倫也の出生、診療契約の締結等

控訴人倫也が、控訴人広田義明及び同広田叔子の間の二男として、昭和四四年五月一一日午前八時頃、被控訴人の開設、管理する医院で出生したこと、控訴人らと被控訴人との間に控訴人ら主張のような診療契約が締結されたこと(以上請求原因1、2の各事実)は、いずれも当事者間に争いがなく、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)によれば、被控訴人は、昭和二六年、神戸医科大学(現神戸大学医学部)を卒業し、同二七年、医師国家試験に合格し、同大学の産婦人科教室、西脇市民病院副院長(産婦人科医長兼任)を経て、同三九年産婦人科医院を開業し、同四二年から産婦人科近畿学会の理事をしていたことが認められる。

二  控訴人倫也の症状及び診療経過

控訴人倫也の出生直後の計測ないし観測結果、同四四年五月一五日、右倫也は、西脇市民病院を経て神大病院に転送されたこと(請求原因3(一)前段、及び、(五)の事実)は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1控訴人叔子(血液型O型、既に一児出産の経験がある)は、昭和四四年五月一一日早朝に陣痛を覚え、同日午前八時頃、被控訴人が開設する名方産婦人科医院(医師被控訴人一人、看護婦六人、助産婦二名の規模、以下名方医院という)に入院し、同午前八時二一分、経膣分娩により控訴人倫也を出産したが、右叔子は、右出産に至るまで、母体に何の異常もなく、妊娠一〇か月の満期産であり、控訴人倫也は、生下時体重三〇〇〇グラム、身長50.5センチメートル、胸囲三一センチメートル、頭囲三二センチメートルの成熟児として出生し、生後直ちに大きな産声をあげ、アプガー指数につき、心膊数、呼吸努力、筋緊張、反射亢奮性、及び、皮膚色の五項目にわたり各二点の合計一〇点(満点)を獲得し、正常児と何ら変るところがなく、哺乳力も普通であつた。

2同年五月一二日、右倫也の体重は二九〇〇グラムに減少し、茶褐色の液体状のものを一回嘔吐したほか、ぐつたりしている等格別の所見はなく、生理黄疸は正常とされ、哺乳力に特別な変化もなく、被控訴人の判断により、右五月一二日まで、イクテロメーター(標準黄色着色板列)による検査は行われていない。

3同五月一三日、控訴人倫也の体重は、二六五〇グラムに減少し、哺乳力も弱く、名方医院の看護婦において、脱脂綿を乳首状にして人口乳を浸して右倫也の口もとへ持つて行きのませるようにしたが、全体の摂取量が三〇ないし四〇cc程度にとどまり、その泣き声や元気さも弱くなり、眠つていることが多かつたが、同医院看護婦により実施されたイクテロメーター値(イ値)は、日本人につき正常とされる2を示し、控訴人叔子や、付添の加嶋いしえらにおいても、倫也が僅かに黄色いと思う程度で、その黄疸を心配するような状況ではなかつた。

4同五月一四日、控訴人倫也の体重は二六五〇グラムのままであつたが、前日に比し、哺乳力、吸啜反応などが低下したほか、嘔吐も数回に及んだため、被控訴人は、栄養補給として五プロの糖液の、脱水を考慮してビタカンファーの注射をそれぞれ行つていた。そして、同日午前、自然光のもとで右倫也のイ値を測定のところ、依然としてこれが2を示して変化はなかつたが、夕刻になる頃から、右倫也の体温が36.4度cにあがり、同日午後八時頃には三八度c位まで上昇して黄疸症状を呈したので、同医院看護婦により螢光燈下でイ値を測定したところ、これが3を記録した。そこで、被控訴人は、右倫也にモロー反射の異常を認めず、倫也が脱水飢餓状態にあると考えながらも、黄疸の治療として念のためアクス剤(ACTH副腎皮質ホルモン分泌促進剤)一〇単位を注射し、更に、同日午後一二時頃にも、右倫也の体重減少を考慮して診察したところ、顕著な変化は認められず、同日まで、右倫也の体から力が抜けたような状態は観察されなかつた。

5同五月一五日、控訴人倫也は、やや強い黄疸症状を呈し、同日午前八時三〇分頃の測定の結果、そのイ値が4.5程度まで上昇したので、被控訴人は、アクス剤五単位を注射し、西脇市民病院へ架電して、ビリルビン値(ビ値)測定のための転医を依頼したところ、これにつき右病院看護婦を通じて応諾の返答を受けたので、右倫也について転医の指示をしたが、この段階で、右倫也には四肢強直があつた以外、項部強直、落陽現象も認められず、モロー反応も陽性であつた。

6右倫也は、同日午前九時頃、控訴人広田義明らに付添われて、名方医院を出発し、西脇市民病院に到着したが、同病院では、ビ値測定担当者大橋が不在であつたため、同病院勝呂哲夫医師において、右倫也を診察し、これが黄疸の症状を呈していることから、黄疸でビ値の測定、場合により交換輸血の必要があると考え、従前の慣行に従い、系列の神大病院に連絡のうえ、右倫也を同病院に送ることとしたが、この時点で、倫也については、主訴として黄疸、現症状として、成熟児安産、体重二六〇〇グラム、仮死、嘔吐も認められないとされていた。そして、右倫也は、一旦、名方医院に戻り、被控訴人から急ぐようにと促がされて、同日午後〇時一〇分、神大病院に入院した。

7控訴人倫也が、神大病院へ入院した当初、その体重は二六〇七グラムであり、体温は38.4度cで全身に熱感があり、黄疸も相当強度に発現し、高ビリルビン血症と診断された。また、当時、右倫也は全身運動が不活発で、上・下肢とも強直を示し、口周囲に軽度のチアノーゼが認められ、緊張性頸反射につき後弓反張様であり、モロー反射も不確かとの症状が現れていたので、同病院医師により、右倫也につき血清ビ値を測定したところ、31.41(mg/dl、以下同単位)を認めたため、直ちに交換輸血を実施することとし、同日午後三時二四分からこれを開始し、同四時二八分終了したが、右交換輸血直後の血清ビ値は10.04まで低下し、吸啜反応も良好であつたが、他に病状の顕著な改善は認められなかつた。

8同五月一六日、控訴人倫也について血清ビ値が再び30.62に上昇したので、同病院において、再び交換輸血を実施することとし、同日午後これを終了したが、同ビ値は、右終了後13.99に低下し、その後一進一退を経て、黄疸は同月一九日頃から軽減し、哺乳力も増加したが、全身症状不良、四肢強直、体の一部のチアノーゼ等の症状は多少の改善の跡をみせながらも、同年六月四日退院の頃まで続いた。その後、右倫也は、家庭療養を経て、同四六年六月七日から、兵庫県小野市所在の国立青野原療養所で生活を送つているが、運動能力、知的能力がともに欠如し、手足を動かすこともなく、起居は他人の介助なしではできない状態であり、以上のような後遺症について、アテトーゼ運動のみられない強直性の脳性小児麻痺と診断されている。

以上の事実が認められ、右認定に牴触する甲第四号証(分娩より収容までの経過等欄一部)及び、同第三〇号証の各記載(これらが採証の用に供し得ないことについては、後に改めて詳説する)、<中略>はいずれも措信せず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三  新生児黄疸の病像と臨床

高ビリルビン血症による核黄疸の一般的な発生機序、核黄疸の臨床症状の程度に関するプラハの分類(請求原因6(二)、及び、(三)の四期の分類)はいずれも当事者間に争いがない。

右の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1新生児の八〇パーセントは、肉眼的に認められる黄疸が発生するが、これが軽度で病的症状を示さないものが生理的黄疸とされ、これが高度で児の健康を障害し、核黄疽を来す虞れのあるものを重症黄疸として区別している。

2生理的黄疸

赤血球が崩壊しヘモグロビンが分解されて生ずるビリルビンは、血中において非抱合型(間接)ビリルビンとして運ばれ、血清蛋白ことにアルブミンやグロブリンと結合しているが、肝細胞の酵素によつてグルクロン酸抱合を受けて水溶性の抱合型(直接)ビリルビンとなり排泄されるが、新生児は肝機能が十分でなく、このようなグルクロン酸抱合が未熟のため、ビリルビン排泄が障害され、軽度の赤血球崩壊によつても黄疸が発生し易い。

成熟児では、生後二四時間(未熟児では四八時間)ないし四日に黄疸が現れ(四日目位にピークとなる)、二、三日して消失するもので、単純黄疸ともいわれる(もつとも、臨床的には、生後二、三日後、未熟児ではやや遅れて現出し、成熟児では四、五日で最高となり、一〇ないし一四日までに消退するとの文献もある)。イクテロメーター値3までを正常とし、3.5以上のときは血清ビ値を測定する。

3重症黄疸

非抱合型のビリルビンが異常に増加すると脳実質、ことに脳底諸核に沈着して核黄疸を発生し、後遺症として後天性小児麻痺の原因となる。

非抱合型ビリルビンの異常蓄積を来す原因としては、赤血球の異常崩壊とビリルビン抱合不全が主であるが、(a)溶血性黄疸につき代表的な例は、Rh式、ABO式など母児間の血液型不適合による新生児溶血性疾患であり、ほかに体内出血などがある(早発性黄疸)。我国では、ABO式不適合の例が多くみられ、また、生後二四時間内の早発性黄疸は、溶血性黄疸の疑いが濃厚である。(b)ビリルビン抱合不全による黄疸として、肝におけるビリルビンのグルクロン酸抱合が異常に障害されて重症黄疸を示すものに、未熟児性黄疸、先天性家族性非溶血性黄疸等がある(遷延性黄疸)。

なお、ビリルビン値が一五ないし二〇(mg/dl)を示す場合、これを高ビリルビン血症とし、ABO式血液型不適合による新生児溶血性疾患と区別し、基礎疾患がみられない場合につきこれを特発性高ビリルビン血症などと分類する例があり、更に、ABO式不適合による新生児溶血性疾患について、決め手となる診断方法はないが、母児間にABO式不適合があり、血清ビ値が高いだけで臨床診断するのは妥当でなく、血液型不適合や、生後二四ないし四八時間以内の早発黄疸があるほか、高度の貧血を伴う場合であり、これら異常状況にない例は、新生児高ビリルビン血症と診断されるべきであるとする例もある。

4核黄疸の発生機序とその臨床症状

核黄疸の発生には、血清中の非抱合型ビリルビン値のほか、ビリルビン・アルブミン結合予備能の如何が重要な役割を果すものである。すなわち、非抱合型ビリルビンは血中において、アルブミンという大きな分子と結合した複合体として存在するから細胞内に侵入して毒性を発現しないが、この複合体から遊離したビリルビンが核黄疸を惹起するもので、溶血性、抱合不全に属する全てにつき核黄疸の危険がある。

核黄疸の臨床症状として、プラハは、その病期を分類し(この点は当事者間に争いがない)、第一期、筋緊張低下、嗜眠、哺乳力減退(モロー反射の消失)、第二期、筋強直、発熱(三八ないし四〇度c)、第三期筋強直の減退(生後七日頃)、第四期、錐体外路症状の出現期の四に分類しているが、更にこれについては、第一期、筋トーヌスの低下、嗜眠、及び吸啜反射の減弱を主徴とする(発病後一、二日間)、第二期、痙性症状(四肢強剛、後弓反張、けいれん、モロー反射消失など)と発熱、第一期後一、二週間、第三期、痙性症状の消退期、一、二か月間、落陽現象が出る。第四期、恒久性の錐体外路症状の現われる時期(脳性麻痺、アテトーゼ、聴力障害など)と詳しく紹介する例もある。いずれにせよ、第二期症状発現後においては、脳の変化は不可逆で、たとえ交換輸血によつて救命できても、恒久的な脳障害による後遺症を残す可能性が強い。

四  控訴人倫也の黄疸症状発生の時期

本件において、控訴人倫也の脳性麻痺の原因ないし、その回避のために必要とされる処置及び時期については、右倫也における黄疸症状発来の時期が大きく影響するとみられるので、まずこの点について検討する。

前認定の倫也の症状及び診療経過によれば、右倫也について計測のイ値は、生後四八時間ないし七二時間時点において2、八四時間時点において3を示したにとどまり、モロー反射に異常はなく、その症状にこのほか特段の変化が認められなかつたものであり、この事実に、<証拠>を総合すれば、右松尾らは、イ値2は日本人としては普通の生理的黄疸のタイプであり、これが2ないし3の値を示す場合、これを重症黄疸とみる余地がなく、右倫也の症状としては、生後四日目の五月一四日昼頃までは黄疸正常域であり、生理的黄疸の状況のところ、同日夜から翌一五日朝にかけ、イ値が、3を示しついで4.5に急激に上昇したとしていることが認められ、これに、前記三で認定の新生児黄疸の症状及び病像にしたがい、生理的黄疸は生後二四時間以内に発生せず、重症黄疸については、二四時間又は四八時間以内と早発であるとされている事実を勘案すると、控訴人倫也は、生後一、両日は、正常であつて黄疸症状は生理的なものとしても存在せず、生後二、三日頃から生理的黄疸症状(正常域)が現れ、生後四日目以降において、イ値が急激に上昇して生理的黄疸の病像とは異る症状を呈し、同五日目には、高ビリルビン血症と診断されるに至つたもので、前示倫也の神大病院における経過からみても、単なる生理的黄疸に終始したものでないことは明らかであるが、他方、これをもつて、生後一両日に現出する早発黄疸であつたとすることもできないというべきである。控訴人らは、右認定の基礎とされる乙第一号証(カルテ)につき、本訴提起後日を経て提出されたものであり、必ずしも信頼できない旨示唆するけれども、カルテについては、診療の必要と法的規制により、特段の事情がない限りその真実性が担保されているとみるべきところ、本件全証拠によつてもかかる事情を肯認するに足りず、兵庫県医師会によるカルテ整備の指示(甲第三三号証)も一般的記述であり、同会医師らを誤導するものと認めることはできない。

なお、控訴人らは、控訴人倫也の黄疸が早発であつたとして、甲第四及び第五号証の記載を挙示するので考えるに、まず、前掲甲第四号証(三枚目、分娩より収容迄の経過、時間、児の状態及処置欄)には、神大病院奥谷医師より、「二日目より黄疸、漸次上昇」のほか、「生直後より黄色の嘔吐あり、哺乳力が悪かつた(?)、四日目より熱上昇、五日目黄疸(+++)のため西脇病院受付より当院に紹介される」旨の記載があり、控訴人らは、右の記載は、西脇市民病院医師らからの情報が、第三者機関である神大病院奥谷医師により記載されたものであり専門的見地から作成されているとし、その早発黄疸の根拠とすべき旨述べているけれども、<証拠>によれば、右各記載は、同月一五日、西脇市民病院勝呂医師を紹介者とし、その電話による黄疸についての処置を要するとの連絡に基づき、当時神大病院に在籍した奥谷明弘医師が、控訴人広田義明ら付添人(控訴人叔子は同行していない)の有する認識をも併せながら、その未熟児室で記載したものであり、しかも、右同日、控訴人倫也は、西脇市民病院における僅かな診察を経て直ちに神大病院に赴いていることが認められ、これらの事実に照らすと、右勝呂医師が、被控訴人からビ値の測定依頼を受けていることは前認定のとおりであるけれども、右倫也の症状経過全般についての記載に正確を期された状況になく、現に、右奥谷医師の証言では、右倫也につき、その黄疸がいかなる種類のものか限定せず、その強い(+++)についても単に強いという程度のものとして理解しており、神大病院においても、ビ値の測定結果に従い右倫也に対する交換輸血の実施に至つたものであつて、以上の事実に、前示甲第四号証三枚目経過欄の「二日目から黄疸漸次上昇」の部分は、乙第一号証(カルテ)における診療経過上、その旨の記載もイ値の測定結果もないことと一致しないのに対し、右経過欄のその余の記載部分が右カルテの記載と比較的よく対応する事実を併考すると、右倫也の経過に関する情報は、被控訴人の医師に源をもつが、右「二日目から黄疸漸次上昇」の記載部分は、二重の電話連絡更には関係者からの聴取の過程で、事実ないし意味につき齟齬があつたというべく、したがつて、その部分については確実な根拠をもつものとは直ちに断定することができず、甲第三〇号証の右部分に対応する記載部分も、情報が確実であればとの限定を伴うものとして、たやすく措信することはできない。ついで、甲第五号証(母子手帳)には、その新生児早期の経過欄に、日令1び2黄疸普通、日令5(もつとも、3を5に訂正)黄疸強の記載があり、かつ、右日令5の体重が二六五〇グラムとされているところ、控訴人らは、右記載はいずれもカルテから転記されたものであるから、むしろ、右各記載(訂正前)に基づく事実を肯認すべき旨述べるけれども、原審における控訴人広田叔子尋問の結果(一部)、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一、二回)、及び、弁論の全趣旨によれば、右手帳は、控訴人叔子が名方医院を退院する際カルテ(乙第一号証)に基づき、同医院の井上助産婦により記載され、被控訴人が署名したものであることが認められるところ、右手帳は、被控訴人において右記載内容を訂正する必要の認められない時期になされていることのほか、更に、右カルテ(乙第一号証)における倫也の生後五日目のイ値4.5黄疸症状強いとの記載があることをも考慮すると、右手帳の記載における日令5は、右カルテの記載と符合するというべく、したがつて、まず、右訂正は正しいこととなり(とすると、右手帳日令5の個所の二六五〇グラムの記載は、右カルテの生後三、四日の倫也の体重を示すが、右カルテには、生後五日目の体重測定はないから、この部分が訂正されずに放置されたこととなる)、また、前記被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人は、名方医院の看護婦らに対し、出生児の全てについてみられる黄疸については、正常の場合普通と記載するよう指導し、自らもこの趣旨で確認していたことが認められるところ、右カルテ(乙第一号証)によると、倫也は出生直後アプガー数一〇点であり(そのうちの皮膚色二点は、全身淡紅色欄にあたる)、生後二日目まではイ値の測定もされていないから、右倫也の生後一、二日は正常であつたとする趣旨は、これを肯認することができる。そうしてみると、甲第四、第五号証の各記載をもつて、直ちに、いわゆる早発黄疸を認める根拠とすることができない。

五  控訴人倫也の脳性麻痺の原因

控訴人らは、控訴人倫也はABO式血液不適合を原因とする溶血性高ビリルビン血症を原因とする脳性麻痺であると主張し、被控訴人は、溶血性黄疸による核黄疸はもちろん、他の一般の核黄疸によるものでもなく、右以外の原因による脳障害であると争うので検討するに、控訴人倫也が生理的黄疸に終始したものでなく、後に高ビリルビン血症(血清ビリルビン値が一五ないし二〇mg/dlを示す)と診断されたことは、既に認定したとおりであるから、これを前提として考える。

1前示二、三の事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1)控訴人叔子(母)の血液型がO型で、控訴人倫也(児)のそれがA型であり、我国において問題とされた新生児溶血性疾患の原則的な母児間血液型(生後二四ないし三六時間内に出現する溶血性疾患のうち約九〇パーセントを占める)である。(2)昭和四一年から同四六年にかけての成熟児ビリルビン血症三四例のうち、ABO不適合による溶血性疾患と認められるものが多く(抗体価上昇五例、臨床判定一八例合計67.6パーセント)、特発性のものは五例とする報告がある。(3)溶血性黄疸の場合には、一般に血清ビ値が二〇ないし二五を超えると核黄疸を生じやすく、とくに、血清ビ値三〇を超えるものではその可能性が高い。(4)控訴人倫也は、名方病院において哺乳力の減退、発熱、元気のなさなどの症状があり、神大病院ではビ値三〇以上を記録し、後弓反張様の症状があり、知能、運動障害を後遺としている。(5)新生児脳性小児麻痺の原因と考えられるもののうち、控訴人倫也については、アプガー指数一〇で生後四日目まで黄疸症状を呈さなかつたことから低酸素症の可能性が、髄液検査はないが頭蓋内出血の可能性が、いずれも低いとされ、感染症についても、神大病院でその症状が設められていない。

2他方、前示二ないし四で認定の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(1)新生児溶血性疾患につき、ABO型の場合は不適合妊娠の約五パーセントにおいて発症すると推定され、我が国では母児間不適合の頻度は約二五パーセントであるから、実際に発症するのは1.25パーセント程度とされている。(2)血液型だけで母児間不適合とするのは間違いで、免疫抗体の確認、及び脳性小児麻痺の原因とされる分娩時外傷等の問題が完全に否定された場合にのみ血液型不適合と判断すべしとされているが、倫也につき、抗A抗体を確認する方法がとられず、出生時の早期娩出による脳障害、後頭蓋窪出血、生体の代謝異常が高ビリルビン産出の要因でないかとの疑いを残している。(3)右倫也は、完全な成熟児として出生し、二日目から生理黄疸の正常域を示していたもので、溶血性核黄疸の蓋然性のある早発黄疸は認められず、モロー反射も消失せず、生後四日目にもイ値3を示していたところ、同五日目にこれが4.5に急上昇するなど核黄疸症状としては異例であり、右倫也に高度の貧血が認められていないことから、溶血性疾患の診断基準に合わない面がある。(4)核黄疸後遺症としての脳性小児麻痺では、錐体外路症状としてアテトーゼ型のものの頻度が高いが、右倫也にみられる後遺症は、脳そのものの圧迫、障害の場合の非アテトーゼ型(強直型)であつて、この間区別がある。

よつて、以上の事実関係により考えるに、控訴人倫也が、ABO式母児間不適合であり、これによる溶血性疾患、ひいては、溶血性高ビリルビン血症により核黄疸に罹患し、そしてその後遺症として脳性麻痺の症状を残したとの可能性は、その症例ないし学理に照らし、これを肯定することができるけれども、既にみたようなABO式血液型不適合児発生の頻度、溶血性疾患による核黄疸とみる場合の診断基準ないし症状経過との不一致も、右倫也の脳性麻痺の原因判断にあたつて、これを度外視できないというべきであり、これに、右倫也の症状及び診療経過を勘案すれば、右倫也については、ABO式血液型不適合とは異例な原因による高ビリルビン血症の結果としてその重篤な障害ないし核黄疸をもたらし脳性麻痺を後遺としたと判断する余地もあるから、結局、右倫也の麻痺の原因を、直ちにABO式血液不適合による核黄疸、ないしは、これに起因するものと断ずることはできないというべきである。したがつて、右倫也の脳性麻痺の後遺症については、それが控訴人らのいうようなABO式血液不適合による溶血性疾患の結果によるとの証明があつたとすることはできないが、医療過誤訴訟の特殊性を考慮し、溶血性疾患か否かの原因を確定できないまでも、右倫也の高ビリルビン血症とその脳性麻痺の結果(核黄疸も否定できない)との因果関係はこれを肯認すべきものである。

六  被控訴人の診療上の義務違背の成否

控訴人らは、被控訴人においてプラハ一期症状の予測、核黄疸を疑うことが不可能でなかつたとし、この点についての証明責任を控訴人側に加重するのは妥当でなく、むしろ、特段の反証がない限り、被控訴人に義務違反があつたと推認すべきであると主張するけれども、医師は、患者の具体的な症状、状況に照らし、適切な診療を施行した場合には、それが、当時の臨床医学の実践としての医療の水準に照らし相当と認められる限り、義務違背による責任を肯定されることはなく、その発生結果から直ちに診療上の過失が推認されるとすることはできないというべきである。

なお、控訴人らは、本件の診療経過に鑑み、被控訴人の診療行為は全体として不十分な措置であり、そもそもまともな診療を実施したとはいえないとし、この点に被控訴人の義務違反があると主張しているけれども、かかる一般的な義務違背をもつて、医療過誤による医師の責任追及に対する請求原因事実とすることはできない。よつて、その余の主張について検討する。

1控訴人らは、被控訴人において、核黄疸症状の判断の誤りひいては、交換輸血の時期を失した旨主張するが、右五で判断したとおり、控訴人倫也の脳性麻痺の原因として核黄疸の可能性は否定できないが、それが溶血性疾患による核黄疸と断定できないところ、前示三で認定の新生児黄疸の病像等の事実に、成立に争いのない甲号証を総合すると、新生児の罹患した高ビリルビン血症は、それがABO式不適合による溶血性のものであるか否かに拘わりなく、核黄疸発生の危険があるため、血清ビリルビン値を減少させる措置をとることが必要とされるので、以下、控訴人倫也について、前示脳性麻痺の原因と関連して右主張があるとみて、検討をすすめる。

(1)  高ビリルビン血症による核黄疸の一般的な発生機序、プラハの四期の分類、及び、右第一期症状の観察により異常が認められた場合、血清ビ値を測定し交換輸血を実施する必要があるとの知見が、昭和四四年当時存在した医学文献に記載され、これが産婦人科医の指導指針であり、兵庫県において、昭和四一年四月から、医師会等が中心となり、血液型不適合新生児の死亡、脳性麻痺の結果を未然に阻止するための対策が実施されていたこと(請求原因6(四)の事実)は、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、次の事実が認められ、この反証はない。

イ 高ビリルビン血症の主な治療方法として、その抑制を目的とする光線(紫外線)療法、アルブミン結合能力を促進する薬物療法(アスク剤)、血中ビリルビンの除去を目的とする交換輸血があるが、右光線療法は、昭和四四年当時未だ確立されておらず、アクス剤の投与は一般的に行われ、成果をあげていたが、副作用の存在から必ずしも推奨されず、現在では殆んど用いられなくなつているので、当時、交換輸血が右高ビリルビン血症から核黄疸を予防する最良の手段とされ、各病院でもこれが多用されていた。

ロ 交換輸血の適応は、重症黄疸の進行により、核黄疸による障害が不可避となることと、交換輸血をなしうる設備、医療機関が少なく、これを実施するのに時間を要するほか、交換輸血そのものによる感染、ないし血清肝炎の結果が考えられることから、治療過剰とならないためにも、右の比較において、成熟児については、血清ビ値が二〇ないし二五mg/dl程度(低体重児・未熟児の場合はこれを下まわる)とするのが一般であるが、昭和四四年当時は、この血清ビ値を測定できる医療機関も限られ、被控訴人ら開業医としては、イクテロメーターを使用して右判断の資料とするのが一般であり、イ値とビ値の相関は別表のとおりであるが、この血清ビ値を測定すべきスクリーニングの基準として3.5とする学説が多く認められた(もつとも、4とする説もある)。

ハ そして、右イ値、ビ値の測定、検査のほか、プラハの分類による黄疸の臨床症状も重要な要素であつて、その分類による第一期症状の発現の観察、把握が重視され、この症状が明白なときは、交換輸血を実施すべきものとされ、第二期症状出現後は救命に成功しても脳性麻痺になる危険性が強いとされている。

そして、以上によれば、核黄疸を含む新生児黄疸の診療については、患児の一般的な臨床症状とくに黄疸の初発時期について十分な観察をして、その増強の状況を正確に把握するとともに、さし当りスクリーニングとしてのイ値の測定をし、これが3.5程度を記録した場合には、更に、ビ値の測定を試み、これらの臨床症状と測定結果(ビ値二〇ないし二五mg/dl)との相関において総合的に判断し、核黄疸等による脳性麻痺の虞れがある場合には、時機を失することなく、直ちに交換輸血(その設備がない場合は転医)を決断することが、昭和四四年当時の一般開業医のとるべき医療水準であつたというべきである。

(2) よつて、以上に基づいて、被控訴人の義務違背の存否について考える。

前記二で認定の事実関係によれば、控訴人倫也は、五月一一日出生時には、体重三〇〇グラムの成熟児であり、アプガー指数も一〇を示すなど正常児と何ら異らない状況であり、同月一二日体重が約一〇〇グラム減少し、一回液体状のものを嘔吐しているが、それ以外、生理的黄疸も正常であり、哺乳力にも変化はなく、これにつき特別の検査、処理の必要を認めない状況であり、同月一三日には、体重が二六五〇グラムに減少し、哺乳力の減退はあつたが、モロー反射も正常(+)で、イ値も2を示していたものであり、原審証人松尾保の証言、及び、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)によれば、羊水中には血液が交ることがあり、控訴人倫也につき、出産時かかる羊水を吐いたものであり、また、新生児については、生理的な一〇パーセント程度の体重減少が、生後三、四日みられるものであることが認められ、これによると右嘔吐をもつて病的な症状ということはできず、また、体重の減少も、倫也について右程度を超えるものというべきであるけれども、新生児に全くありえない症状ということができないところであり、このほか、前掲甲第一一及び乙第八号証によれば、新生児の臨床症状は把えにくく、プラハ第一期症状のうち、元気のなさ、哺乳力の減少は、新生児の一般症状でもあるとされていることが認められ、これら右倫也の症状から、プラハ第一期症状を肯定することもできず、被控訴人において、生理的黄疸正常域を出ないものとして、経過観察をしたことをもつて、診療に関する懈怠があつたとすることはできない。

ついで、前記二で認定の事実によれば、控訴人倫也は、同一四日、体重は前日と同様であつたが、吸啜反応が低下し、嘔吐も数回に及んだことから、イ値を測定のところ、これが2を示し、夕方八時頃には、熱が三八度程度まで上昇し、イ値も3を示したので、被控訴人において、アクス剤を注射しているところ、同月一五日朝にも、四肢強直があつた以外頸部強直、モロー反射も(+)であつた状況によれば、前記核黄疸の病期の分類に照らし、その第一期症状の発現そのものが必ずしも鮮明でなく、第二期の症状とされる四肢の強直以外に他の痙性症状を伴わず、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)によれば、右発熱も脱水飢餓状態とみることもできる状況であつてみれば、被控訴人において、右一四日夜までのイ値2、又は3の結果に従い、同日の時点において、生理的黄疸であり右一期の症状が現出しているものでないと考えたとしても、これをもつて不合理なものとすることはできない。そして、既に示したように、控訴人倫也について、生理黄疸なら消退に向う頃の同日夜から翌一五日朝にかけて、イ値が3から4.5にと急激に上昇している状況によれば、右は、生理的黄疸とも、また、典型的な核黄疸の症状経過とも異なる複雑な経過であつたというべく、しかも、<証拠>によれば、昭和四四年五月当時、近傍の三木市、小野市の市民病院でも、血清ビ値の測定、ないし交換輸血の体制にないなど、血清ビ値の測定できる医療機関も限られ(一般に血清ビ値が測定されるようになつたのは昭和四七年以降である)、名方医院でもその測定ができず、西脇市民病院にその測定を依頼していた事実が認められ、このような状況によると、被控訴人における産婦人科医療に関する経験をもつてしても、右イ値による症状観察を超えて、右一四日夜における血清ビ値の測定ないし交換輸血による対応まで期待することはできず、したがつて、被控訴人が、一四日の右倫也の症状を生理的黄疸の正常域と考えながらも、発熱ないしイ値3を考慮して、アクス剤の投与及び診察をし、翌一五日朝、イ値の測定を行つてその上昇を認めるや、直ちに、右倫也を西脇市民病院に転送し、正確な血清ビ値の測定をまち、この結果により交換輸血を考えた経過は、右倫也の臨床症状、及び、血清ビ値測定の基準(イ値1.5でビ値一九ないし二〇程度)に照らし、当時の一般開業医について認められる医療水準上相当であつたと認めることができる。

2控訴人らは、右のような診断の基礎となる黄疸の測定につき義務違反があると主張するので、以下検討する。

(1)   まず、イクテロメーターに依拠することが不適切か否かについて考えるに、<証拠>によれば、黄疸計イクテロメーターは、これを児の鼻先に当て血流の止るまで皮膚を圧迫し、この皮膚の色と黄疸計の色調を比較し、その記号を読むもので、その自然光下での観察が予定されているところ、昭和四四年当時は、血清ビ値を測定することのできる医療機関が限定され、一般開業医はそのスクリーニングの方法としてイクテロメーターを使用していたこと、イクテロメーターのみに頼ることは危険であるが、イクテログラムを応用することにより新生児黄疸の症状が推認できるものとされ、イ値が3以下である場合には或る程度信頼でき、これ以上を示す場合には血清ビ値を測定するべきものとされていたことが認められ、被控訴人はイクテログラムはとつていないけれども、右スクリーニングの方法としてイ値を測定し、これが3を示した翌朝その4.5を確認して直ちにビ値測定のため控訴人倫也を転医させているところであるから、イクテロメーターの性質上、観測者の主観等により若干数値の変動することが考えられるけれども、当時の医療の状況及びイクテロメーターの機能に照らし、被控訴人がこれを使用し、かつ、その数値に依拠したことが、無意味ないし危険なものであつたと断ずることはできない。

(2)  また、控訴人らは、右イ値の測定が看護婦によりなされ、その測定値も相関的に把握されていない旨主張するが、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一、二回)によれば、名方医院での右倫也についてのイ値の測定は看護婦によりなされ、看護婦が毎日交替する状況であつたが、これに関しては、被控訴人から指導訓練して、経験のある看護婦により沐浴時に測定させていたことが認められるところ、右認定のようなイクテロメーターのスクリーニング機能に従えば、これを右のように看護婦に施行させていたとしても、必ずしもその判定が不正確であるとすることはできない。また、イ値は右倫也の出生時のものはなく、イクテログラムの作成もないけれども、出生第三日目一回、第四日目二回、第五日目一回の測定がなされていることは前認定のとおりであり、右倫也に症状がないと認められる限度で、このイ値の測定は必ずしも義務的とみることはできないというべきであり、この測定回数が生理的黄疸症状とともに増加しているところであつて、第四日目夜の測定が螢光燈下であることから若干の誤差は避けえないとしても、なおイ値3を示し、翌一五日朝の測定を経て転医に至つていることからすれば、右イクテロメーター使用の状況及び機能からして、被控訴人による右メーター測定、管理について不適切、不備な点はないというべきであり、したがつて、控訴人らのいうように、この測定の結果により、核黄疸があつたのにこれを看過したとすることもできない。

七  転医・転送上の過失の成否

医師が診療の過程で、患者の具体的症状経過上、自らの専門ないし医療技術ないし設備に照らし、検査及び医療措置について限界を認める場合には、診療の必要上これを他の十分な医療設備等のある病院に転送し、その機関により当該疾患に対する医学・医療水準下の診断、治療を受けさせる義務があるというべきであり、名方医院については、イクテロメーターはあるけれども、血清ビ値の測定はもとより交換輸血の設備もなかつたことは、前示のとおりであるから、被控訴人としては、控訴人倫也の症状及びイ値の結果に従い、時機をみてこれを他の医療機関に転送する義務があつたというべきである。

1控訴人らは、まず、控訴人倫也において、プラハ第一期の症状を呈していたし、仮に、その症状が早発黄疸でなかつたとしても、右倫也を転医、転送すべきであつた旨主張するけれども、被控訴人は、同月一五日朝、右倫也を西脇市民病院へビ値測定のため転送させ、その結果による交換輸血を期待した措置が、当時の開業医について認められる医療水準に照らし相当であるとみられるべきことは、前に説示したとおりであり、イクテロメーターのスクリーニングの意義、限界、交換輸血の適応を考えると、医師につき、新生児に発現する黄疸の症状、程度、更には、イ値・ビ値測定結果と無関係に、交換輸血等を実施するための措置をとる義務があるとすることもできないから、控訴人らの右主張は採用の限りではない。

2ついで、控訴人らは、西脇市民病院では、ビ値の測定はできたが、交換輸血の設備がないのに、その説明もないまま右病院を経由したため、控訴人倫也の処置につき時間を空費した旨主張するけれども、右倫也が、同月一五日、名方医院から西脇市民病院を経て神大病院に転送された経過は前記二5、6で認定したとおりであり、<証拠>によれば、西脇市民病院は神大病院の系列病院であり、当時ビ値測定の設備はあつたが、交換輸血を実施できる状況になかつたこと、被控訴人は右西脇市民病院のこのような状況を知り、これまでの慣行に従い、同病院の技術者によるビ値の測定を期待し、同病院看護婦を通じた電話連絡による同病院の応諾を得て、右倫也を同病院に転送したところ、たまたま、右技術者が欠勤する事態となり、ビ値の測定等のため、同病院から神大病院へ転送されたことが認められ(この反証はない)、以上の事実に従えば、被控訴人において、西脇市民病院におけるビ値測定者の不在を知りながら右倫也を同病院に送つたとみることはできず、また、既に説示したように、被控訴人におけるイ値3.5以上の場合にビ値を測定するべきであるとの学理的認識に従えば、右一五日朝の段階において、まずビ値の測定の必要があり、その結果をまつて交換輸血の実施を考え、西脇市民病院への検査のための転送を指示したことにつき、医師として処置を遷延させたとしてここに義務違背を肯認することもできない。なお、被控訴人において、右西脇市民病院への転送に際し、交換輸血ないし右病院における設備の詳細について説明がなく、右倫也が、一旦名方病院へ帰り改めて神大病院に向つたため若干の時間が経過したとしても、原審証人勝呂哲夫の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)によれば、血清ビ値の測定、交換輸血について数時間を要するとされていることが認められ、これに、右倫也のイ値の急激な上昇という異常な経過を考慮すると、西脇市民病院から神大病院へ直行したとしても、右倫也の後遺症を阻止し得たか否かについて疑問があり、いずれにしても、この遅延を理由に被控訴人の責任を問擬するのは相当でないというべきである。

八  結論

してみると、控訴人倫也の脳性麻痺の結果につき、被控訴人に診療上の過誤が肯定できない以上、控訴人らの本訴請求は爾余の点判断するまでもなく失当であるから、これらを棄却した原判決は相当であつて本件控訴はいずれも理由がない。よつて、これらをいずれも棄却することとし、控訴費用の負担につき、民訴法第九五条、第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(大野千里 林義一 稲垣喬)

別表

イ値

血清ビ値(mg/dl)

(甲17)

(甲9)

2

5.55

5±5

2.5

7.57

7±5

3

10.03

10±5

3.5

12.31

12±5

4

15.73

15±5

4.5

19.06

20±5

5

25±5

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